こんにちは!ハチです。
とっても哲学的なタイトルですが、皆さんはどのように考えていますか?
私は昔は、人は分かり合えると思って生きてきました。
だから誰かに自分の気持ちを分かって欲しいって思っていたし、誰かの気持ちも分かった気になっていたところがあります。
だけど年を重ねて、自分の気持ちもろくに自分で理解していないこと、相手も私も、一度自分というフィルター越しに事情を見ていること。
アニメ機動戦士ガンダムの中でニュータイプ能力をもってしても人は分かり合えないという描写。
他者との関わり合いに拗らせた碇ゲンドウの人類補完計画。
アニメでも他者と理解できるのかってテーマの作品って本当に多いよね。
で、私はこの年になって他人とは分かり合えないという前提でいた方が生きやすいという自分の中の結論をだしている。
分かり合うのは難しい。だからこそ理解しあえた時の喜びも相当なものだよね。
だけど、他人と分かり合えないから、投げやりになってるとかじゃない。
どちらかというと、今まで他者との境界線が甘かったんだと思う。
最近よく聞くようになった心の境界線、バウンダリー。
皆さんもご存じですか?
自分と他人は別の人間だと、感情や責任を分ける境界線のことなんだけど、
以前の私はこの境界線がものすごくグレーだったんだと思う。
特に心の距離が近い人には。
だから相手の状況や感情が、まるで自分に起こったように捉えていたのね。
相手が悲しいと一緒に悲しいし、相手が辛そうだと一緒に辛かった。相手と深く共感できる部分もあったかもしれないけど、それにプラスして自分の悲しさや辛さも背負っているわけだからそりゃキャパオーバーにもなるよね。
そうすると、なんで分かってくれないの!って怒りが湧いてくるし
私はこんなに理解して寄り添ってあげてるのに!ってイライラしてくる。
でも、私だって相手の気持ちを分かっているつもりでいたけど、それって本当に相手が思っていることとイコールだったかというと多分解釈が違うことなんてざらにあったと思う。
自分だったら傷つくことが彼氏にも起こっているとして、私が勝手に心配して悲しい気持ちになってたけど、
彼氏は別に大したことじゃないじゃんって感じで気にもしてないことって、事実あったりしない?(友達や家族でも)
相手とのバウンダリーができてないと、こんな些細な事でも微妙にすれ違っていくんだと思う。
彼氏だけじゃなくて家族とか親友とか、心の距離の近い人ほど境界線が曖昧になりがちだよね。
自分の気持ちも分かってないような奴が(わたし)、人の気持ちを分かった気になって、なんておこがましいんだ!
という気持ちと誰も私の気持ちなんて分かってくれない!っていう諦めの境地から私は、
「人は分かり合えない」という価値観をもったわけだけど、私みたいなバウンダリーガバガバ女にはその方が良かったって今は思う。
諦めるって、明らかに認めるっていう語源の意味なんだって。
諦めるって言うとネガティブだけど、明らかに認めるというとポジティブだよね。
だから諦めることも大事なんだって思うようにしているよ。
で、分かってもらおうとすることを諦めたのはいいんだけど、投げやりじゃないっていうのはこの先のことで。
完全に分かり合えるのは難しいことは明らかに認めているけど、自分の気持ちや大事なことはちゃんと伝えるってことは諦めようにしようとも思う。
となると、やっぱり自分の気持ちをいかにして言語化するかというスキルが必要なのよね。
私とってもへたっぴだったからさ。
こればっかりはコツコツがんばっていくしかない。
ハチ


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